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東海道53次 39.岡崎-矢はぎのはし
佐野喜版(1840)
「狂歌東海道」-横大判56枚揃物
彫師:遠藤光局 / 摺師:伊藤智郎
浮世繪之美 - vol.3139

岡崎宿と言えば、徳川家康出生の岡崎城と東海道随一の長橋矢作(矢矧)橋が定番の構図です。『東海道名所圖會 巻の三』(前掲『新訂東海道名所図会中』p100)には、「岡崎の城、旧名竜(たつ)ガ城という。…城下の町員(かず)およそ六十余町二十七曲という。当国都会の地にして、商人多く繁昌のところなり」とあり、また同図会(p96)には、矢作橋は「矢矯川に架す。長さ二百八間、高欄頭巾金物、橋杭七十柱、東海第一の長橋なり」とあります。「五万石でも岡崎様は、城の下まで舟がつく」と謡われるように、城下町でありながら、矢作川の舟運を利用して東海道でも駿府に次いで賑わう商都でもありました。狂歌入り版では、橋下から橋と城を見上げる視点で、橋の東側半分に乗尻馬の武士一行を先頭に、多くの旅人が描かれています。背後に描かれる山並みは、実際より高さを強調して描く広重を前提にすると(前掲「舞坂」等参照)、三河富士とも呼ばれた村積山(標高256.9m)ではないかと思われます。富士を遠望できる、日本橋の景色をなぞっているように感じられるからです。

狂歌には「宿毎に」とありますが、『宿村大概帳』(1843)からは旅籠屋112軒の繁華の町であることが分かります。それ故、前掲図会に「岡崎女郎衆と、小歌にも諷(うた)えば」と記されるように花街も発展し、その帰結として、岡崎女郎衆が夕化粧していそいそと客を待つ情景が狂歌に詠われることになります。ところで、江戸時代、三味線稽古あるいは獅子舞の曲として『岡崎女郎衆』が流行り、「〽岡崎女郎衆、岡崎女郎衆、岡崎女郎衆は、良い女郎衆」と歌われました(童謡「うさぎうさぎ」と似たメロディー)。この三味線の音を変換し、「ぢよ/\のぢよん女郎(ぢょろ)」と表現しつつ、「(岡崎)女郎」に掛けたのが狂歌の結句となっているのです。三味線の音を狂歌にそのまま応用する発想を楽しむ狂歌です。(普通は「チン・トン・シャン」ですよね…。)

宿毎に 夕化粧して 客をまつ
こころもせはしぢよのぢよん女郎
千歳松彦

歌川廣重(Utagawa Hiroshige,1797-1858)
《東海道五十三次》爲浮世繪大師歌川廣重成名作
描繪由江戶至京都的53個宿場
包含起點的江戶日本橋和終點京都内裏共56景

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浮世繪之美

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