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東海道53次 15.吉原
佐野喜版(1840)
「狂歌東海道」-横大判56枚揃物
彫師:松田寅藏 / 摺師:板倉秀継
浮世繪之美 - vol.3115

狂歌入り版の副題「左り冨士ノ縄手」は、表現・タッチに違いはありますが、保永堂版の副題「左富士」と同一の視点・構図と思われます。前掲『東海木曾兩道中懐寶圖鑑』「吉原」を見ると、「川合橋」を渡った「十町たんぼ」の先、「依田村と云中吉原村」辺りで東海道は北上し、江戸出発以来右に見えていた富士がここでは左に眺望できることが分かります。歌枕の地として有名な場所で、前掲『東海道風景図会』には、「風になひく不二の煙の空にきえて ゆくへもしらぬわかおもひかな」という西行の和歌が引用されています。おそらく、広重(さらには狂歌師)の心には西行ゆかりの地という思いがあったように想像します(三代豊国・広重『雙筆五十三次』「吉原」参照)。西行ゆかりの地であるからこそ、保永堂版は西に向かうお伊勢参りの一行(三宝荒神)を近景に描き入れ、国貞『美人東海道』は西国巡礼の美人を重ね合わせたのだと考えられます。

狂歌は、単純に「あしと思はぬ 冨士はよし」と詠み、「あ(悪)し」と「よ(良)し」の反対語を楽しみつつ、「よ(良)し」を「吉」原の宿場に掛けて遊ぶというものです。「行く人」と「いく度」の掛詞を含めて、やや言葉遊びに過ぎるように思われますが、「行来する人」に西行を思い浮かべれば、この地で和歌を詠まざるをえなかった西行、そしてその心境に影響を与えた富士山の良き景色というものが深みを持って浮かび上がってきます。

広重の絵は、旅人と馬の両脇に荷物を載せる、保永堂版以来の「乗尻(のりしり)」の他、街道を行き来する多くの人々が描かれています。個人的には、旅人の数が少ない方が西行的情緒が醸し出されるように思うのですが、これは、狂歌の「行来する人のいく度詠めても」という句を受けて、多人数を描き入れたのだと考えられます。西行1人ではなく、吉原を旅する人々は誰でも、また何度でも左富士に感嘆するという、かなり解説的描写です。狂歌入り版の情景は、挿入された狂歌と不即不離の関係にあることがよく分かる事例です。深読みですが、街道の一番手前に虚無僧が描かれているのは、僧体の西行に敬意を払ったものでしょうか。

行来する 人のいく度 詠めても
あしと思はぬ 冨士はよし原
栄寿堂金信

歌川廣重(Utagawa Hiroshige,1797-1858)
《東海道五十三次》爲浮世繪大師歌川廣重成名作
描繪由江戶至京都的53個宿場
包含起點的江戶日本橋和終點京都内裏共56景

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浮世繪之美

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