東海道53次 14.原
佐野喜版(1840)
「狂歌東海道」-横大判56枚揃物
彫師:松田寅藏 / 摺師:小川文彥
浮世繪之美 - vol.3114
正面に富士山、右手に愛鷹山、そして前掲『東海木曾兩道中懐寶圖鑑』「原」に「沼」と記される浮島が原を間に挟んで東海道が手前を走っています。おそらく、保永堂版と同じく、柏原の立場あたりの風景と想像されますが、実景性に比重を置く狂歌入り版なので、その表現に大きな違いを見せています。保永堂版は『仮名手本忠臣蔵八段目』「道行旅路嫁入」の戸無瀬と小浪の情緒を描き入れています。これに対して、狂歌入り版は歌舞伎の構想性とは関係なく、狂歌の情緒をどう絵の構成に結びつけるかを懸案としています。忘れてはならないのは、実景を楽しむことだけが作品の目的ではないということです。富士を真正面に見据え、茶屋をシンメトリーに配置し、街道を歩く旅人をかなり単純化し、碧瑠璃の空に天を突くばかりの赤富士を際立たせることが広重の意図です。北斎の『冨嶽三十六景』「凱風快晴」(赤富士)を意識しているのは間違いないでしょう。
狂歌は、「今日」と「京」を掛け、「足」下まであるいは「腰」下まで来たのかと言っているうちに、「腹」=「原」まで来たと洒落ています。そして、そこで見上げた富士が、掛詞を使って腹のように大きいと感嘆しているのです。狂歌の言いたいことは、ただ原から見る富士山が雄大であるという感嘆だけです。広重は、この狂歌の感嘆に対して、1つに、富士山の頂を雲よりも高く、絵の枠をも越えて、天に至る姿で描いています。もう1つに、街道を旅する人々を極端に単純化し、対比的に富士の大きさを表現しています。注意しなければならないのは、狂歌があることを忘れてしまうと、たとえば、雄大な自然と小さな人間との二項対立といった現代的感覚で本作品を理解してしまう虞があるということです。狂歌入り版の意図は、原で眺める富士山は腹みたいに大きいと俗っぽく驚いているだけなのです。
けふいくか 足よ腰よと あゆみ来て
見あぐるはらの 不二の大さ
数寿垣
歌川廣重(Utagawa Hiroshige,1797-1858)
《東海道五十三次》爲浮世繪大師歌川廣重成名作
描繪由江戶至京都的53個宿場
包含起點的江戶日本橋和終點京都内裏共56景
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