東海道53次 9.大磯
佐野喜版(1840)
「狂歌東海道」-横大判56枚揃物
彫師:遠藤光局 / 摺師:伊藤智郎
浮世繪之美 - vol.3109
大磯の海岸線は、「小ゆるきのはま」(小揺陵の浜)と呼ばれた景勝地です。狂歌入り版は、その浜越しに真鶴岬や伊豆の山々を遠望する視点で構成されており、これは、大磯宿の京(南西)側に当たります。これに対して、保永堂版は、「高麗寺村」を過ぎて、「けわい坂平地」や「虎がやしきあと」などがあった大磯宿の江戸(北東)側を描いています(前掲『東海木曾兩道中懐寶圖鑑』参照)。保永堂版には「虎ケ雨」という副題が付いており、曽我十郎祐成の愛妾虎御前に因んだ、仇討ち成就の旧暦5月28日頃に降る涙雨を画題としています。なぜなら、大磯は、虎御前の出身地として有名な宿場だからです。
狂歌に目を転じると、「うかれめ女」、「真心」、「うそぶける」など大磯の遊女が歌われていることが分かります。これは、かつて大磯の遊女であった虎御前に繋げるための発句と考えられ、遊女が真心だとうそぶいて酒を飲んでいる様を「うそぶける虎」(酔っ払い)という言葉で表現しています。そして、祐成を賊の矢から防いだことで「身代わり石」とも呼ばれる石が延台寺にあり、実際の虎御前は、境内にあるその「虎が石」に名を残していると詠んでいます。つまり、本当に真心を貫いた遊女(虎)は、石になってもういないということです。
大事なことは、上記の狂歌に対応する大磯の情景として広重が何を描いたかです。前景をよく見ると、3軒程の旅籠があることに気付きます。しかも、店先に女が立って旅人を引き留めています。また、一番手前の旅籠の2階では、開いた窓から人の姿が望めます。つまりは、遊女(飯盛女)のいる旅籠と想像できるということです。広重は、「うかれ女」あるいは「あそび女」の雰囲気を作品に描きこんだのです。なお、北斎『春興五十三駄之内』「大磯」(享和4年正月・1804)には、下記狂歌とともに虎が石が描写されています。
うかれ女の 真心よりぞ うそぶける
とらといふ名は いしに残れり
冨有亭満成
歌川廣重(Utagawa Hiroshige,1797-1858)
《東海道五十三次》爲浮世繪大師歌川廣重成名作
描繪由江戶至京都的53個宿場
包含起點的江戶日本橋和終點京都内裏共56景
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