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東海道53次 8.平塚
佐野喜版(1840)
「狂歌東海道」-横大判56枚揃物
彫師:堀田治 / 摺師:品川勝夫
浮世繪之美 - vol.3108

広重・前掲『東海道風景図会』の平塚には「馬入川」が描かれており、平塚を名所的視点で採り上げれば、馬入川の船渡し風景が第一と考えられます。したがって、狂歌入り版が、富士山と大山の遠景に「馬入川渡舟」を描くことは自然です。ところで、広重にはこのような定番の名所を敢えて外すことが時々あるということを知っていれば(「広重あるある」)、保永堂版の景色の前には馬入川の船渡し風景があり、そこから平塚の宿場に向かう「縄手道」を描いていることが分かります。しかも、保永堂版は、新吉原の日本堤(八丁縄手)を舞台とする歌舞伎『鞘当て』を下敷きにして、高麗山と大山、飛脚と空の駕籠舁との鞘当て風景を表現しているのですが、なかなか理解の難しい構想となってしまったようです(国貞・美人東海道への忖度か?)。

そこで、狂歌入り版では原点に戻って「馬入川渡舟」を端的に描くということになったと考えられます。ただし、「馬入川」という書き入れがなければ、川崎宿六郷川の船渡し風景かと思ってしまいます…。なお、平塚と次の宿場大磯の間は、27町(3km弱)という短い距離なので、客引き競争がかなりあったことが想像されます。平塚の狂歌なのに、次の大磯が入っている背景です。ちなみに、馬入川は、山中湖を水源とし、上流では桂川、下流で馬入川(相模川)と呼ばれます。また、建久9年12月(1198)、橋供養の際、水上に悪霊が現れ、雷電霹靂として、源頼朝が落馬し、その馬が水中に入り死んだので、馬入川と呼ばれるようになったという俗話があります(歌川広重『東海道五十三對 平塚』参照)。狂歌入り版の画中において、乗船者の視線が川の中に向けられているのも、馬入川伝説を暗示しているのかもしれません。

狂歌は、「大礒(いそ)」へ「いそ(急)ぐ」、「いさ(勇)む馬」と「馬入川」との言葉を掛け、平塚から大磯へと急ぐ馬に付けられた鈴の音が響く様を歌っています。まわり双六に見立てて、東海道を急ぐ様子を歌った狂歌が多いように感じます。狂歌が馬入川を見所とする平塚ということで馬を材料にしたことに応じて、広重の絵は馬入川を渡る船上に1頭の馬を乗せています。馬入川では、馬で運送する荷物「荷駄」を乗せる船は「馬船」で、旅人を乗せる船は「平田船」としていましたが、広重はこの辺りの区別を意識して2艘の船を描いています。

大礒へ いそぐえき路の すゞのねに
いさむ馬入の 渡し舩かな
芦原満邦

歌川廣重(Utagawa Hiroshige,1797-1858)
《東海道五十三次》爲浮世繪大師歌川廣重成名作
描繪由江戶至京都的53個宿場
包含起點的江戶日本橋和終點京都内裏共56景

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浮世繪之美

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