東海道53次 46.庄野
佐野喜版(1840)
「狂歌東海道」-横大判56枚揃物
彫師:松田寅藏 / 摺師:板倉秀継
浮世繪之美 - vol.3146
近景に4人の駕籠舁きが、遠景に2人の早飛脚が一里塚脇の東海道を慌ただしく駆け抜けていく様子が描かれています。おそらく、近景の駕籠は前掲「石薬師」の問屋場前から出発したものだと思われます。駕籠の左背後に描かれる3人の百姓を子細に見ると、内2人が背中に薦筵(こもむしろ)を着けており、また空に灰色の雲が流れているので、雨が降った直後なのかもしれません(嶋田・前掲『広重のカメラ眼』p306)。街道を走る人足達が足早なのも、その雨も手伝ってのことでしょう。つまり、狂歌入り版は、同じく庄野を描く保永堂版副題「白雨」の直後を写していると考えられます。保永堂版は名図の誉れが高いのですが、他方、場所も特定できない想像図とされることもあるのに対して、広重は実景からの構想図であるとのアリバイ作りをしたものと思われます。左背後の丘陵の麓に民家があって、その後ろに竹林があるとするならば、狂歌入り版は明らかに保永堂版を事後的に実景表現した作品と言えます。
伊勢参りの道筋から離れるためか、庄野自体は小さな宿場ですが、当時、日本武尊の陵(みささぎ)・白鳥(しらとり)塚やその他尊に関連するいくつかの塚があると信じられており、『東海道名所圖會 巻の二』(前掲『新訂東海道名所図会上』p313)にも、「このほとり『日本紀』に見えたる能褒野(のぼの)なり」とあります。したがってこれらの点を勘案すれば、庄野に降る白雨は、日本武尊(白鳥塚)の存在を暗示する神威と見るべきでしょう(本講座34、二川の岩屋観音の雨)。言い換えれば、尊の雨に祟られた様子が表現されているということです。それに付合するように、狂歌入り版の左背後に灰色の丘陵として、高宮村にあった白鳥塚の一部が描かれています。
宿入に それとしらせて 名物の
まづかうばしく 見ゆる焼米
浦廼門觀湖
歌川廣重(Utagawa Hiroshige,1797-1858)
《東海道五十三次》爲浮世繪大師歌川廣重成名作
描繪由江戶至京都的53個宿場
包含起點的江戶日本橋和終點京都内裏共56景
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