東海道53次 44.四日市
佐野喜版(1840)
「狂歌東海道」-横大判56枚揃物
彫師:松田寅藏 / 摺師:小川文彥
浮世繪之美 - vol.3144
四日市の宿場の手前(北側)を流れる三重(三瀧)川に架かる土橋を構図の中心に置いた作品です。したがって、橋の後方に描かれる家々が四日市宿に当たります。土橋の左方向に四日市湊および「那古海(なごのうみ)」が見えるはずです。おそらく、その風景を描いたのが、保永堂版「四日市」の副題「三重川」で、保永堂版は構想図なので、強風の様子を写し、「神風の国」伊勢を表現しているものと思われます。
実景表現を基本とする狂歌入り版では、手前より柄杓を持つ抜参りの少年3人と、猿田彦(天狗)を背負う金比羅参り代参の男が橋を上り、対面するように伊勢参りの帰りと思われる女3人(母娘と付き人か?)と巡礼の一行が橋を渡って来ます。四日市の宿場、あるいはその三重川に架かる土橋を現世と宗教世界との結界地と看做した作品です。作品中の花は梅でしょうか、桜に見えますが…。ところで、宿場の先にある「日永の追分」で、左・伊勢参宮道、右・東海道とに分かれ、これこそが四日市宿最大の特徴なのですが、広重はその追分を描かず、橋を渡る人々の違いによってそれを暗示するに止めています(「広重あるある」)。
狂歌は、「泊り村」と「つえつき坂をのぼる」という言葉によって、旅人が泊まり、杖を衝きながら坂を上る様子を詠み込み、同時に、「泊村」と日本武尊縁の「杖衝坂」という地名に掛けています(前掲『東海木曾兩道中懐寶圖鑑』「四日市」参照)。狂歌を一読すると、梅の香りの初春に、旅人が袖を振り合い歩み、泊まり、その泊村から杖を衝きながら杖衝坂を上り、京に向かう様が素朴に詠まれていると感じます。ところが、泊村と杖衝坂の間に日永の追分があることに気付けば、その追分には触れないながら、追分で京への道を選択したことが分かる狂歌構成です。狂歌入り版「蒲原」の狂歌と共通の趣があります。
梅が香に 袖ふりあふて 泊り村
つえつき坂を のぼる旅人
緑庵松俊
歌川廣重(Utagawa Hiroshige,1797-1858)
《東海道五十三次》爲浮世繪大師歌川廣重成名作
描繪由江戶至京都的53個宿場
包含起點的江戶日本橋和終點京都内裏共56景
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