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東海道53次 30.濱松
佐野喜版(1840)
「狂歌東海道」-横大判56枚揃物
彫師:堀田治 / 摺師:品川勝夫
浮世繪之美 - vol.3130

東海道と城に向かう三叉路辺り、浜松城下を描いた作品です。旅籠の前で留女がかしましく客引きを行っている一方、江戸方向から来た旅人達が背を丸めトボトボ歩いている様子は目立ちます。年寄りの一行でしょうか。城の背後や城に繋がる道筋などに多くの松の大木が描かれているのと合わせて深読みをすれば、(浜)松と(寿)老人を掛けているのかもしれません。浜松は、徳川家康が岡崎から入り、駿府に移るまでの17年間(元亀元年~天正14年・1570~1586)在城した所であり、その繁栄の描写には広重の幕府御家人としての忖度を感じます。

元々、「引馬(ひくま)」と呼ばれていた地域が浜松と呼ばれるようになった機縁は、まさに「颯々の松」(ざざんざのまつ)と呼ばれる松です。『東海道名所圖會 巻の三』(前掲『新訂東海道名所図会中』p194)には、「野口村の田圃の中に松林あり。…伝にいわく、足利義教(よしのり)公富士見に下向のとき、この松の下にて『浜松の音はざゞんざ』と諷い、酒宴したまうより名附け初(そ)めしなり」とあって、これを絵にしたのが保永堂版「濱松」副題「冬枯ノ圖」です。他方で、同図会(同掲書p182)は、「音羽松 海道の南、小沢渡(こさわわたり)村にあり。古松にして、枝地に垂れて、砂に這い、また立ち延びて、風流の名木なり。野口村のざゞんざの松を兄とし、こゝを弟として乙松(おとまつ)ともいう」とあって、その後の広重作品の「颯々の松」は後者の「音羽松」を描いています。おそらく、浜辺の松なので、浜松には音羽松の方が絵になるからでしょう。

狂歌は、明けるのが遅い春の朝、浜の松に鶴が飛んで春霞に霞んでいるなあという程の意味です。旅の歩みも遅いのかもしれません。「あしたづ」は「朝」と「葦田鶴」(鶴の異名)が掛けられ、「ちよの濱まつ」は「千代の浜の松」と「浜松(宿)」が掛けられ、「(千年)鶴と千代の松」とで縁起の良い対語となっています。また、「ちよの濱まつ」とは、縁起言葉というだけでなく、ここでは「颯々の松」、とくに「音羽松」を指すものと考えられます。その理由は、「あしたづの」は「音(ね)になく」の枕詞なので、「音」羽松に「ざざんざとなく」と読み解けるからです。つまり、鶴の鳴き声に音羽松がざざんざとなき、浜辺の波音も重ねて聞こえてくる情景です。この狂歌は、鶴の声、松の葉音、波音など自然の音を詠み込んだ浜松宿賛歌です。

春の日の あゆみもおそき あしたづの
かすむすがたや ちよの濱まつ
紀廣持

歌川廣重(Utagawa Hiroshige,1797-1858)
《東海道五十三次》爲浮世繪大師歌川廣重成名作
描繪由江戶至京都的53個宿場
包含起點的江戶日本橋和終點京都内裏共56景

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浮世繪之美

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