東海道53次 26.日阪
佐野喜版(1840)
「狂歌東海道」-横大判56枚揃物
彫師:松田寅藏 / 摺師:板倉秀継
浮世繪之美 - vol.3126
狂歌入り版「日阪」は、一見すると難路「佐夜の中山」と呼ばれた峠道を描いているようなのですが、たえば、保永堂版では、「夜啼石(よなきいし)」と「無間山(むげんやま)」を合わせ描いて佐夜の中山を表現しています。ところが、その両要素とも排除されているこの峠道は本当に佐夜の中山なのでしょうか?夜啼石は峠で山賊に襲われた妊婦の霊が取り憑いたものという伝説があり、またその妊婦から生まれた子は「水飴」によって無事養育されたという子育観音霊験記としてつとに有名です(歌川国芳『東海道五十三對』「日坂」参照)。それ故、本作品が佐夜の中山を描くものであるならば、峠の茶店で売られているのは当地の名物である水飴ということになります。
しかし、狂歌の題材は「わらび餅」です。このわらび餅は、『東海道名所圖會 巻の四』(前掲『新訂東海道名所図会中』p240)によれば、「いにしえより新坂のわらび餅とて、その名あるものなり」とあり、さらに蕨餅という名前ですが、実は葛粉で製しているという点にまで触れています。前掲『東海木曾兩道中懐寶圖鑑』「新坂」には、「さよの中山」に「水あめ」、「新坂」の宿場に「わらびもち」と記されています。これらの点を勘案すると、広重が描く茶店は宿場近くの茶店でなければ狂歌との間に齟齬が生じてしまいます。したがって、本作品は佐夜の中山を直接描くものではなく、本作品近景の橋に注目すれば、日坂の宿場(旅籠)の西方の川橋か、もしくは宿場から佐夜の中山に向かう茶店の辺りかと推測できます(同図鑑参照)。狂歌は、朝仕事として「にこにこ」笑いながら、「わらび餅」(笑ひ餅)を作ったのは、「をかしな」(風情のある、可笑しな、さらにはお菓子の)春の立場であるとの意味です。なお、宿場でなく、立場なのは、「春立つ」という言葉遊びのためですが、また春の蕨を彷彿とさせる工夫を感じます。さらに、「にこにこ」には蕨餅が2個、2個にも掛けられているのでしょう。
ちなみに、狂歌入り東海道の特性として浮世絵と狂歌がそれぞれ役割分担し、広重は夜啼石と無間山を直接描かない抑制的な形で佐夜の中山峠の茶店(水飴・飴の餅)を写し、狂歌は独自に日坂の名物蕨餅を詠ったという可能性は十分にあります。その場合、広重は狂歌の内容を斟酌して、意図的に峠の茶店の営業風景を控えめに描いたという推論が成り立ちます。
あたらしく 今朝にこにこと わらび餅
をかしな春の 立場なるらん
倭園琴桜
歌川廣重(Utagawa Hiroshige,1797-1858)
《東海道五十三次》爲浮世繪大師歌川廣重成名作
描繪由江戶至京都的53個宿場
包含起點的江戶日本橋和終點京都内裏共56景
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