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東海道53次 19.江尻
佐野喜版(1840)
「狂歌東海道」-横大判56枚揃物
彫師:遠藤光局 / 摺師:伊藤智郎
浮世繪之美 - vol.3119

旅籠などの家並みが大木を境に途切れ、その先を荷物を担いだ旅人が歩いています。おそらく、江尻の宿場の西口辺りを描いているものと推測されます。保永堂版は海側の清水湊と美保の松原を眺望する視線でしたが、狂歌入り版は反対方向の富士遠望図となっています。狂歌入り版を前掲『東海木曾兩道中懐寶圖鑑』「江尻」と対照すると、「ともへ(巴)川」を渡り、「追分」に向かう前後かと思われます。富士山の位置も含めて、同図鑑の絵と同じであることが確認できます。狂歌に触れる前に、本作品の中景に描かれる3つの山の情景を解説しておきます。松の木が何本か描かれているところと対比すると、この山には木々が生えていないことが読み取れます。そして、東海道の背後が田園風景とすれば、これらは畑のように感じられます。松尾芭蕉が句集『炭俵』で「駿河路や花橘も茶の匂ひ」と詠んだこと、北斎が『冨嶽三十六景』で「駿州片倉 茶園ノ不二」を描いていることなどを勘案すると、山地で栽培される茶畑を広重流の手法で描写しているものと推測できます。江尻の茶畑という名所風景を画中に織り込んでいるということです。

狂歌の最終句に「児(ちご)ばし」とありますが、前掲図鑑の「ともへ川」には「ちご(稚児)ばし」が架かっている旨記されており、橋渡りの儀式に際し、招かれていない稚児(河童の化身)が渡ってしまったという伝説を持つ橋を詠み込んでいます。この「児(ちご)ばし」を見るのが、駕籠でのんびり旅をする「うば」というのですが、『東海道名所圖繪 巻の四』(前掲『新訂東海道名所図会中』p322)に、「姥ガ池」という湧水池が「(東)海道平川地村、田畑の中にあり」と記載されています(同図会p316~p317の図版および北斎『冨嶽三十六景』「駿州江尻」参照)。前掲図鑑の「ひらかはら」がそれに相当します。つまり、狂歌には、さらに江尻の「姥ガ池」も詠み込まれていたということです。それ故、広重は両名所のある江尻の西口側を描いたものと考えられます。ただし、稚児橋と姥が池を直接描くことはしていません。これは、狂歌と浮世絵との役割分担を計算した狂歌入り版の特徴です。また、お得意の「広重あるある」と言うこともできます。

花の旅 駕をつらせて ゆたゆたと
うばが江尻に 見ゆる児ばし
花垣家寿子

歌川廣重(Utagawa Hiroshige,1797-1858)
《東海道五十三次》爲浮世繪大師歌川廣重成名作
描繪由江戶至京都的53個宿場
包含起點的江戶日本橋和終點京都内裏共56景

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浮世繪之美

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