東海道53次 1.日本橋
佐野喜版(1840)
「狂歌東海道」-横大判56枚揃物
彫師:遠藤光局 / 摺師:伊藤智郎
浮世繪之美 - vol.3101
日本橋川下流・東側から日本橋、江戸城、富士山を眺める視点です。保永堂版が日本橋の南側から描いていたのとは異なっています。やはり、江戸城あるいは富士山を画中に据えた構図には捨てがたいものがあります。橋の左側には天秤棒を担ぐ魚河岸の男達、右側には毛槍が目を引く大名行列が描写されており、これら人物像は保永堂版と同じです。橋下には多くの荷を積む高瀬船や屋根船が見え、左右の倉庫群と合わせ、江戸の経済的繁栄を表現しています。
狂歌を読み合わせると、日本橋は都まで「一筋」の東海道の起点ですが、日本橋の「二」と一筋の「一」との数字遊びにまず気付きます。「遠くて近きはるがすみ」には、遠いようでも近い、近いようでも遠い「春霞」という情景描写の他に、都が「遙かに霞む」という意を掛けて、日本橋から都までの旅路の遠さを詠み込んでいます。狂歌に、数字遊び、掛詞という仕掛けが施されていることが分かります。狂歌から感じることは、江戸・日本橋が出発地であり、京の都が一筋の思いの果ての地であること、つまり、現世と極楽、穢土と浄土という関係性において捉えられていることです。これに広重の絵を合わせると、京都にはない江戸城と富士山が江戸を特徴づける存在であること、また、江戸が京都に優越する経済の集積地であるという自負が読み取れます。富士山と将軍様のお膝元の経済的繁栄を自慢する、江戸っ子の心情が見えてきます。
歌川広重画・柳下亭種員文『東海道風景図会』(嘉永4年・1851)の日本橋には、「名城と名山はれて江戸の春」と記されています。上記と同趣旨でしょう。富士山は江戸でこそ見ることができ、琵琶湖にも負けない存在であるというのが江戸っ子の自負です。とはいえ、上野に琵琶湖に模した不忍池が造られる次第なのではありますが…。
日本橋 たゝ一すぢに 都まで
遠くて近き はるかすミ (春霞) かな
河のや幸久
歌川廣重(Utagawa Hiroshige,1797-1858)
《東海道五十三次》爲浮世繪大師歌川廣重成名作
描繪由江戶至京都的53個宿場
包含起點的江戶日本橋和終點京都内裏共56景
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