日本的民藝陶- 京都府 蘇山焼 そざんやき
嘉永 四年 (1851 0歳) 加賀藩士 諏訪重左衛門好方の子として金沢に生まれる。幼名〈栄三郎〉。
明治 六年 (1873 23歳) 彩雲楼旭山に陶画を学ぶ。翌年結婚、明治八年に東京に転居して陶画を業とした。
明治 十年 (1877 27歳) 八月より一年間、瀬戸・京都等各地製陶場を研究視察した。
明治 十五年 (1882 32歳) 七官青磁の研究に着手。
明治 二六年 (1893 43歳) 大病からの蘇起を喜び、友山、賀山としていた号を蘇山と改める。
明治 四十年 (1907 57歳) 京都・五条坂にて製陶業を始め、七官青磁・白磁・白高麗・交趾釉・漆黒釉の作品を試みる。
砧青磁の再現には他の名工が釉薬からのアプローチに没頭する中、素地に依るところが大きい事を日本で初めて発見。各種の胎土を研究した末に明治十五年からの試製を究め、「青磁」作品を世に出した。
大正 二年 (1913 63歳) 白色で精巧な文様を持ち、素地が紙のように薄い「鳥の子青磁」を考案する。
大正 三年 (1914 64歳) 二月、高麗古窯旧跡の調査を朝鮮王家より嘱託されて渡鮮。十一月帰国。
大正 五年 (1916 66歳) 鉄砂釉を飛ばした「飛青磁」により、花瓶や抹茶碗等を制作。
大正 六年 (1917 67歳) 帝室技芸員を拝命。八年には宮内省より製陶のご用を受け、謹製する。
大正 九年 (1920 70歳) 欧州で作られていた「イリジューム青磁」を制作。後には日本産イリジュームで施釉。
この年「魚眼嵌白金」をも案出。また、金沢時代に苦心していた彩釉の研究に再び没頭、「五彩釉陶磁器」を作る。
大正 十一年 (1922 72歳) 感冒から肺炎を併発、逝去。



