日本的民藝陶- 佐賀県 嬉野焼 うれしのやき
佐賀県嬉野付近から産する伊万里焼の一種。承応・万治年間(一六五二‐六一)に朝鮮からの帰化人が開いたという。褐色の粗土に黒釉のもの、また白刷毛目の上に褐彩、緑彩した絵の大鉢、大皿、大徳利などが多い。
嬉野焼 うれしのやき
肥前国藤津郡西嬉野村(佐賀県嬉野市嬉野町)の産。
内野山焼ともいいます。
創始は文禄・慶長の役(1592-8)のあと帰化した陶工中相原・金原の二人によって内野山に築窯されてからだといわれます。
ややのちになって嬉野徳利が知られ、明和(1764-72)の頃には粗雑な磁器の飯碗をつくり製造業者も二百余に増加したといわれます。
しかし以後次第に衰微し明治時代には富永源六の磁業だけとなりましたが、1889年(明治二二)から次第に良品を産するようになり、これを別に源六焼ともいきました。
なお内野山は旧佐賀藩の直領地で陶業上有田代官所の所轄に属し、その保護は大変厚かったと伝えられます。
(塩田力蔵)
鶴田 純久



