日本的民藝陶- 長野県 伊賀良焼 いがらやき
信濃国下伊那郡伊賀良村(長野県飯田市)の産。
モースは、十八世紀の末(天明・寛政年間の頃)伊賀良村で硬陶を焼き、開善寺のために百個程の茶碗を製作してこの碗に「開善寺百の内」と墨書きをしたと記しています。
(『日本陶器目録』)いがるがこうえもん(脇幸右衛門)山城国伏見(京都市伏見区)の人形師と伝えられています。
もと浮田秀家の老臣林玄蕃の家来でありましたが、天正年間(1573-92)に浪人となり、伏見稲荷神社の傍に住んで人形その他をつくり生計を立てていましたので、世に人形屋幸右衛門と呼ばれました。
伏見にはおよそ七年間居住したのち大阪に行き、豊臣秀吉に仕えて大阪夏の陣(1615)で戦死したらしい。
東福寺に伝わる説では、同山門の楼上に安置した布袋は聖一国師が中国宋朝から将来しかものといわれていますが、幸右衛門がこれをおもしろく思いこれに倣ってつくり始めたものであるとしています。
現在伝わっているものに幸右衛門と落款のあるものが多いですが、これは大方後人の偽造だといわれます。
(『大坂軍記』『仇討ち天下茶屋譚』『工芸志料』『工芸鏡』『近古芸苑叢談』)
鶴田 純久



