東海道53次 34.二川
佐野喜版(1840)
「狂歌東海道」-横大判56枚揃物
彫師:松田寅藏 / 摺師:小川文彥
浮世繪之美 - vol.3134
二川より三河国です。狂歌入り版「雨の二川」は、保永堂版「雨の庄野」を彷彿とさせる図柄です。空に時鳥(ほととぎす)が舞い、夏の白雨を描いた作品で、急な雨に駕籠舁きなどが筵を被って茅葺きの茶屋に逃げ込もうとする様子やすでに旅人など先客がいる情景が描かれています。さて、本作品からどうやって二川宿の要素を見つけ出すかです。狂歌入り版は基本的には実景図であるという視点から出発すると、街道の切り株の右奥に榜示杭があり、その手前(茶屋の後ろ辺り)から左方向山側に道が続き、その先に鳥居があることに気付きます。前掲『東海木曾兩道中懐寶圖鑑』「二川」と対照すると、二川の宿場の西方に「大岩村」があり、そこが「いわやくわんをん道」の追分になっていることが分かります。過去、度々、狂歌入り版では広重が東海道との追分を描写している事実を考えると、おそらく、本作品でも大岩の追分を描いたものと推測できます。
『東海道名所圖會 巻の三』(前掲『新訂東海道名所図会中』p144~p145)によれば、山上にあった岩屋観音には、行基作の千手観音が祀られ、岩窟内外には石仏群が、堂の背後の岩山(亀岩)山頂には観音像が立っているとあります。また、前掲図鑑を見ると、猿が馬場から岩屋観音にかけて、「立岩」「鏡石」「尉と姥石」などの記載があって、この辺りが奇岩の名勝であったことも分かります。にも拘わらず、広重が白雨に隠しそれらの岩や石の1つも描いていない点に、逆に特別な意図を感じます。つまり、狂歌が岩(石)を題材にしているので、構想を邪魔しないよう、それを敢えて避けたということです。
狂歌は「女夫石(めおといわ)」を詠うものですが、これは、おそらく、大岩の追分を越えた東海道「火打坂」の途中にあった「尉と姥石」(道祖神?)を指すものです(広重『東海道張交絵』「二川」参照)。「女夫」という言葉には、妻と夫の「二人」という含意があるので、「二川」の縁語となります。女夫石を見て、「こひしかりけり」は、故郷の妻を「恋し」く思うという意味が1つです。もう1つは、「女夫石」だけに故郷は「小石」であるという言葉遊びです。なお、本作品が白雨なのは、名石奇岩を雨で隠すという目的の他に、岩屋観音の追分であるので、水に縁する岩屋観音の雨を降らせているのです。その先に、水とは反対の火打坂があるにも拘わらずです…。
女夫石 見るにつけても ふるさとは
こひしかりけり ふた川の宿
東方垣真艶
歌川廣重(Utagawa Hiroshige,1797-1858)
《東海道五十三次》爲浮世繪大師歌川廣重成名作
描繪由江戶至京都的53個宿場
包含起點的江戶日本橋和終點京都内裏共56景
∣ ← Back ∣ vol.3134 ∣Next →∣
浮世繪之美 |